目次
高校生時代
膨らんでいった自我がパーンと弾けて、高校デビュー!
この頃たぶん人生で一番調子に乗ってたな。
いわゆるリア充というやつですw
彼女もいたし、最初所属していたテニス部(弱小)は楽しかったし(途中で幽霊部員)、オシャレなイタリアンでバイトしてたし…
何より一番大きいのは、バンドに出会ったこと。
当時文化祭でギターを弾いてた友達がめっちゃかっこよくて、それがきっかけで僕もバンドマンの道へ。
ここで人生で最初に、大きく道を踏み外します。
1年生の時は成績優秀で、学年の総合テストで、400人弱いた学生の中で上位20位にランクイン。
2年次に高偏差値の大学進学を目指す”特進クラス”へ進みますが、バンドの影響で勉強をしなくなる。
大学に行ってもやりたいことなんて何一つなかったため、専門学校への進学を希望。
3年生進学時には特進クラスから普通のクラスへ撤退。
これが原因で家族、学校と大揉めに揉めて、父親と取っ組み合いになり、家出したりもしました。
グレまくりました。う〜ん、典型的な反抗期w
バンドは学校内だけじゃ飽き足らず、遊びに行くライブハウスで知り合った仲間や、インターネットでメンバーを募集している社会人に混じって、バンド活動。
多い時は同時に4バンドとか所属してました。
外見はリア充、へらへらしてるような奴だったけど、内側は
将来への不安
相変わらずコントロールできない自我
両親の期待
姉(バリキャリ)とのギャップの悩み…
いろんな問題に板挟みになり、実はムチャクチャ苦しみました。
専門学生時代
プロのミュージシャンになるために音楽専門学校へ進学します。
しかし、楽器は自分で練習できるし、理論も必要なら自分で学習できると思った僕は、レコーディング・PAの専攻へ。
2年間の学校生活は楽しかったですが、当時活動していた歌モノのバンドに力を入れまくってたため、単位はギリギリで、ライブばかりしてました。
2年生の時、人生で2度目の大きな踏み外しを経験します。
それはハードコアを知ったこと。
それまで僕はどちらかというと綺麗なメロディー、オシャレな演奏が好きで、例えば
the band apartとか、
SHAKALABBITS(後期)とか、
unchainとか、
ストレイテナーとか…
そういうのが好みだったわけです。
うるさいバンドはほぼ嫌いでした。
なんで美しい旋律があるのにこんな音楽が必要なのかと。もう嫌悪。
ところが、同じ専門学校に通っていた奇人に勧められた
ファストコア(めちゃくちゃ速いハードコア。長さも一曲平均1分以下)に衝撃を受けて、
どんどんアンダーグラウンドに潜り始めます。
凝りすぎて、他のメンバーに心配されたほどです。笑
ボーカルの脱退を機に、歌モノバンドからインスト(ボーカルなしのスタイル)のポストロックへ移行。
徐々にポストハードコアの要素も混ぜ入れ、どんどん地下へ潜っていきます。
この時点でもう、音楽で食っていこうという考えは無くなっていました。
自分の本当に好きなものに出会ってしまった今、それ以外のことをするのは
嘘をついてお客さんからチケット代を払わせてしまうことになるような気がしたからです。
フリーター時代
もう、絵に描いたような、ダメなフリーターバンドマンwwwww
時給900円で、近所の土間土間でバイトして、仕事終わりにセンパイと麻雀して、週末はライブ、全く金にならないけど楽しくてしょうがないバンドを続けて、それで満足でした。
このままどうなるんだろう、とか何にも考えてなかったな。
まあ、考えてたけど、今考えるとせいぜい再現性のない、半分夢物語のようなもの。
いろいろあってライブハウスでブッキングマネージャーを務めることになり、そこも半年でやめちゃうんですけど、ここでも大きな変化が起きました。
結婚を考える彼女ができたのです。
人生で初めて、彼女と同棲を初めて、それはもう幸せでした。
低学歴、フリーター、売れないバンドマン…
「付き合っちゃいけないダメ男ナンバー3ランキング」に漏れなくランクインしていました
が、そんな僕でも、好きになってくれる人がいたのです。
しかしこのままでは結婚できない!
ということで、ありがちに、社会人への道を志ざします。
超絶ド・ブラック、真っ黒黒な営業会社に受かってしまって、ソッコーで辞めたり、
ビルのメンテナンス会社に入ってロープでビルからぶら下げられてガラスを拭いたり、
いろいろ経験しました。
でも最終的に、僕のダメさに愛想をを尽かされ、振られてしまいます。
そりゃそうだ。逆によくそこまで付き合ってくれたもんだ。
続く
Thumbnail: Fuji Rock 2017, photo by Umi Hayato