高いプライドを下げて完璧主義者じゃなくなったら生きるのがものすごく楽になった話

今日は完璧主義者から脱することで身の回りのいろいろなことを効率化できるということについて書いていこうと思います。

完璧主義者って何?

まず完璧主義の定義についてですが、ウィキペディアではこんな風に定義されていました。

完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと。 定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。

何がいけないのか

これ、仕事の内容や状況によっては
功を奏す場合もありますが

大半の場合は生産性・効率性を下げたり
新しいことに挑戦できなくなったりします。

定義されている内容の

「過度に高い目標設定目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと」

の部分に注目してください。

つまり、この完璧主義の人は

自分の成果物が、自分の納得する
水準に達するまで満足できません。

あらゆる作業に共通して言えることだと思いますが
80%から100%に仕上げる工程が一番時間かかるんですよね。

かく言う僕も以前は典型的な完璧主義者でした。

以前書いていた別のブログでも完璧主義者をこじらせ、一記事を執筆するのに数時間もかかる・・・。
とてもじゃないが毎日続けられる状態ではありませんでしたw

じゃあ具体的にどういう点に
こだわっていたかというと・・・

  • 読みやすい文章か?
  • 誤字はないか?
  • 文法に間違いはないか?
  • レイアウトは最適化されているか?
  • 写真はすべてきれいで見映えするか?

これをもう満足いくまで見直しまくる。

改行の位置や小さな間違いなど気にしている人なんていないのに
(というか読者自体少ないのにw)

そこに時間かけてもしょうがありません。

それよりもガンガン量産していく作業の方が先なのです。

結局生産性が悪すぎると判断し更新は止まってしまいました。
しかしこの完璧主義者を脱してからというもの、以前のように人の評価などいちいち気にしないようになってからは、生きていくのがとても楽になりました。

手を抜くのではなく

満足できるハードルを下げたのです。

効率重視>成果重視

では具体的にどうやって脱したのか?
そのマインドを書いていきます。

まず最初に一番大事なことですが
これを認識することから始めました。

”自分が完璧だと思う作品に対して
 他人は完璧だとは思わない”

つまり厳しい言い方をしてしまえば

完璧主義者になって成果物に必要以上の時間を使うことはただの”独りよがり”に過ぎないと。

そんなことより、ですよ。

自分のこだわり(というかエゴ)で8割から10割までのクオリティーを上げようとする時間で他のことをした方が有益だと考えます。

それならもうパッパッとすばやく何記事も書いた方が建設的です。
数をこなして最短効率でノウハウを吸収することもできるかもしれない。

先述した通りこの2割のこだわりに対して他の人はさほど注意を払っていません。
このこだわりを捨てるだけで1つの作業にかかる時間を大幅に短縮することができました。

そして作業は比較にならないほど早くなります。

さらに常に8割のクオリティーを、と意識し、それを量産することでとりあえず形にはなるものを短時間で生み出せるようになります。

自慢できるものでもなんでもないんですが、目安として、このブログの1記事は平均2時間前後で執筆しています。
アウトラインの作成に30分、肉付けに1時間、チェックと微調整に30分、という割り振りが多いです。
記事によってはもっと長くなりますが、それでもこだわりすぎるとドツボにはまって抜けれなくなり、焦点もボヤけ、どこに向かっているのかわからなくなりがちなので、短期決戦で鬼集中してガーーーッと仕上げます。

まあ、時間かければ良いもんできるかというと、決してそんなことないですからね。

創作物は人前に出して磨け

さて、ここでありがちな曲ができないバンドの例を出してみます。

僕は今でもバンドマンの端くれです。

今まで、それこそ何百は大げさですけど、何十という数のバンドと交流し、切磋琢磨して頑張ってきました。
対バン(同日に同じステージに立つこと)だけなら悠に100は超えますが・・・。

「曲ができない・・・」
という状況はバンドマンの宿敵であり、そして宿命でもあります。
数え切れないくらいこういう話題を同じバンドマン同士で話ました。

こういう時

「できない時にどうするか?」

という選択に迫られますが、ここで

「メンバー全員が満足する楽曲になるまでライブでは発表しない」

というバンドが本当に多い。

「自分達ですら満足できないのに、お客さんの前でやるなんてとんでもない!」

という思考に起因するからですが、うーん・・・考えてもみてください。

いつも同じ楽曲、セットリスト、パフォーマンス・・・。
お客さんが求めているのはこれでしょうか?

ジャンルや界隈に関係なく、同じものを毎回見させられたら、誰だって飽きます。

それより新しい曲を作るべきです。

「だって中途半端な状態じゃ・・・」
という気持ちもめちゃくちゃわかります。

でも僕は言いたいんですけど

「所属レーベル等の関係等で一度作ったものを変えられない

みたいな状況ってほとんどないわけですよね。

じゃあなんで公表しないの?というと、答えは簡単、

「完璧主義者だから」です。

冒頭の定義をもう一度引用します。

”過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。”

そのまんまこれですよね。

新曲作ったら、とりあえずライブでやって、そのまま続けて、新しい展開やフレーズがひらめいたら、その時変えたらいい。

後で「変えただろ」って怒る人なんていない。

ちゃんとしたアレンジを組んだり、細かいフレーズの調整なんて、レコーディング前だけでいいんですよ。

あと決定的に重要なのが

”作っていけばクオリティは上がる”

ってことです。

何も考えずに新曲作るバンドなんてほとんどいないと思うので、毎回集中して、何かを想いながら曲を書いてるはずなんです。

この過程は仕事や人間関係を育んでいくこととと同様のプロセスで、数をこなせばノウハウは蓄積されます。

つまり、スピードを意識して数をこなして母数が増えれば、それだけいわゆる”神曲 / キラーチューン”が生まれやすくなる、ということです。

一応言及しておくと、僕は”質か量か”みたいな議論は本当に無意味だと思います。
古今東西どこでも話されていますが、どっちかが正しいなら誰でも知ってるはずです。そんなのシンプルに”時と場合による”だけです。

当人がものすごい影響力のある立場で、容易にアウトプットできない、という状況を除いて、作品はどんどん前のめり気味で人前に出していった方が、長期的に見たら伸びしろはあるのでは?と個人的には感じます。

というわけでその結果は「神のみぞ知る」ではありますが、少なくとも完璧主義者を脱したり、プライドのボーダーを下げることで、色んなプレッシャーから解放され、生きるのがとっても楽になりました個人だけじゃなくて組織にも応用できる可能性があります!という話でした。

それでは!