カナダ – トロント時代
さて、意気揚々とカナダにやってきた僕の、少し伸びかけた鼻をいきなりブチ折る出来事が。
「7ヶ月みっちり勉強したんだし、これはもうカナディアンに囲まれてウハウハなカナダ生活しか見えないな・・・」
と妄想しながら入国した時の…
入国審査のオネーサンの早すぎて美しすぎる英語がもう聞き取れないwww
これにはたまげた。
「僕はセブで7ヶ月、何をしていたんだろう・・・
皆勤賞で喜んでいる場合じゃなかった・・・。」
と若干へこみますが、まあこれからこれから。
と前を向き始めた僕の小さなプライドを打ち砕きまくることが次々と起こります。
まず、仕事が見つからない。
日本で作ったレジュメを、カフェやレストランを中心に、ひたすら配って歩きますが…
電話はうんともすんとも言わない。メールも来ない。
「完全な英語環境で働きたい」
と思っていましたが、さすがにこの高すぎる願望を叶えるには、じっくり職を探すための資金が必要でした。
背に腹は変えられないので、まずは生活費を稼ぐため、渋々日本式居酒屋でアルバイトを始めます。
結果的にここでは、めちゃくちゃ素敵な経営陣二人と、とてもいい同僚たちに恵まれて楽しく仕事はできました。
でも予想通り、英語を使う機会はあまりない。
悶々とするも、バイトしながら、求職活動を続け、ついに面接のチャンスを掴みます。
場所はベーカリーカフェ。
面接も仕事もすべて英語、日本人は僕一人だけ。
そして熱烈なアピールも評価され採用の通知が!
「そうそう、これこれ!これを求めてたんだよー!!」
とぬか喜びもつかの間、いざ働いてみると、
僕がセブで磨いた(と思っていた)英語は、ズタズタに敗れますw
勉強が役に立たなかった、という意味ではなくて、
単純に、何もかもが違うのです。
話すスピード、使う単語、言い回し、イントネーション、アクセント・・・。
今思えばただ慣れていないだけでしたが、当時は
「僕はもしかしたらものすごく馬鹿げた時間の使い方をしていたのでは」
とヘコみました。マジでヘコみました。
僕が働いていたベーカリーカフェは強化版サブウェイみたいなもんで、
- パンの種類だけで10種類くらいあった
- そのほかにもベーグル、マフィン、クロワッサン、ケーキ、オーブン系だったらなんでもあった
- それにさらに無数の食材が組み合わさって、無限とも言えるパターンのサンドイッチが出来上がる
- これらの注文をすべて英語で受け、自分で作り、会計まで一貫して行う
というのが業務内容でしたが、当時よくこれやってのけたな、と自分でも関心します。
「わからないことはなんでも聞いてね」
とアイルランド人のすげー性格の悪い同僚が言ってくれましたが、意地悪され、嫌味を言われ、
「なんでアンタみたいな英語も話せない奴がカナダで働いてんのよ笑笑」
とバカにされ、教えてくれる内容もアイルランドアクセントが強すぎて全く聞き取れず、とにかく毎日
「今日はお客さんが来ませんように・・・」
と祈るだけの、超みっともない日々を過ごしてました。
一週間が経つ頃、僕は気づきました。
作業工程が難しいわけじゃない。
ことを複雑にしてるのは、選択肢の多さと、聞き取れない英語だ。
すぐに対策を考え、リストを作成。
選択肢は暗記でカバー。
英語に関しては、知らない語を話されたらもう対策のしようがない。
だから食材をすべて覚えるのと、カフェで使われるであろう表現や言い回しも全部暗記。
やるしかない!
そして逆転劇が始まります。
バイトの時も、そうでない時も、ひたすら暗記作業。
まずコーヒーの種類から、全部英語のページを探して、プリントアウトして、知らない語は調べる。
食材もリストを作り、日本語名と画像を脳内でリンクさせて、言い換え表現やカナダで使われる表現もすべて覚えて。
それから、自分がオーダーを取る時専用のシートを作りました。
無限のパターンを正確に把握するべく、
・パンの種類、
・食材、
・ソース、
・トッピング等
全ての項目を網羅したチャートを作り、注文を受けたらそのシートに簡易的に、即時に記入できるようにしました。
これが功を奏して聞き直す機会は圧倒的に減り、また食材の名前も全て頭に叩き込んだおかけでほとんどの注文を聞き取れるようになりました。
二週間が経過するころ、もうオーダーから会計まですべての工程を、先輩の助けなくこなせるようになりました。
そうなっちゃえば、楽しい。
常連さんのオーダーを覚えて、顔が見えたらすぐ作り始めて、
注文を受ける頃に「はい!」と渡したらめちゃくちゃ喜んでくれるし、
よく話すようになって、その会話でさらに英語も伸びました。
変わらず居酒屋の方のバイトも掛け持ち、収入に関しては心配がいらなくなりました。
と言うのも、カフェのバイトは薄給で、しかもレストランと違ってチップが無いので、全然稼げないのです。
だから朝から夕方までカフェ、夕方から深夜まで居酒屋、
という日が週2,3日あって、身体的にきつい日もありましたが、それでも楽しかったです。
苦労したのは仕事だけではなく、他にも大きな大きな問題を抱えていました。
それは居住環境。
まあこれはそもそも僕の想定が根本的に間違っていたんですが、
「家なんて2、3日あれば見つかるっしょ!」
と完全にナメて、2泊分のAirBNBしか予約せずに入国したのです。
ただでさえ、身分証明書の発行、銀行口座の開設、電話回線の契約、と忙しいのに、
これに平行して家探しまでやって、いい家がすぐ見つかったとしたら、とんでもなく幸運ですね。
しかも悪いことに、
到着2日目でマイナス15度の鬼のような寒さに体がついていけず、風邪をひきます
(前述したレジュメ配りの時に雨でも雪でもかまわず数時間歩き続けたら、そら風邪ひくわ)。
とりあえず近所の家をいくつかピックアップして、適当なシェアハウスに訪れ、
家賃も別段高くないし、ここでいいか…
と適当に決めたのが、悲劇の始まり。
カナディアンにもびっくりされましたが、なんと、
極寒のトロントなのに、ゴキブリパラダイスだったのです。
小さいゴキブリがキッチン付近のそこかしこにいて、まともに料理もできない。
でもトロントの外食は高くつくので、自炊しないと生活できない。
毎度うんざりしながら作る日々・・・。
同じ家に住んでるフラットメイトも国際色は豊かでしたが、
掃除するような人はおらず、ポンコツオーナーはどんな苦情を入れてもほぼ無視。
というかたま〜に思い出したようになんかやってくれるんだけどどれも効果ゼロ、つーわけで不潔でもう最悪でした。
そんな家に家賃600ドル払ってたかと思うと・・・はあ。
家探しって慎重に、じっくりやんなきゃいけないんだなあと大きな学びを得ました。
(普通は少し考えればわかるw)
でも当時、家探しをじっくりするための滞在資金も無かったのです。
そんなこんなで、引っ越しを決意。
次は、日本人の奥さんとカナディアンの旦那さんという夫婦の借りているマンションの1部屋を借りることに。
しかしこれも新たな地獄の始まりでした、、、
内見の時、
「カフェで働いてて朝早いんですけど、大丈夫ですか?」
と確認すると
「私たち朝型人間だし、基本家にいないから大丈夫ですよ〜」
と安心したのも束の間、ぜーーーんぶ嘘っぱちwww
まず、深夜1時2時まで起きてることは当たり前、
YouTubeで夜な夜な日本のお笑い(スピーカーから音声全開)でゲラゲラ笑ってて全く眠れない、
平日のど真ん中に友達呼んで朝型まで爆音ダンスパーティ、
深夜突然始まる料理、
杜撰な生ゴミ管理で常にブンブン飛んでるコバエ、、、
トロントに安住の地はないのか!!!と我慢の限界になり、ふと思い立って、バンクーバーへ引っ越すことを決意。
「何故トロントではいろいろなことがうまく行かなかったのだろう?」
と振り返ると、いろいろな要素が出てきます。
準備不足、認識の甘さ、単純に運が悪い、行く時期もよくない、、、
でも僕が一番に痛感した失敗は
「人との出会いをおろそかにしたこと」
どういうことかというと、僕は
「英語を勉強しに来たんだ。日本人の友達なんていらん。」
と、もう良くない方向にプライドこじらせまくっちゃったわけです。
それを学んだ出来事があったのですが、これも長くなりそうなので次の機会に。
続く
Thumbnail: Queen Street West, Toronto, ON, Canada