帰国、そして台湾へ 【経歴6/6】

帰国、地獄の契約社員時代

もし帰る理由が何もなければ、そのままバンクーバーに永住していた可能性もあります。
それくらいバンクーバーが大好き。

それでも後ろ髪を引かれる想いで帰国したのは、

バンドがあったから。

僕が現在も所属しているハードコアバンド”tatara”です。

バンドのことに関してはまた長くなりそうなので別の記事で触れていくつもりですが、
2017年のフジロック(FUJI ROCK FESTIVAL 2017)に出演しました。
当時僕はまだバンクーバーにいたので、出演のために一時帰国したのです。

で、英語を使える仕事がないかなとふらふらしていたのですが、
知人が会社で新しい部署を立ち上げるということで、それを手伝うべく、半年間契約社員として勤務しました。

一部上場の大きなITの会社で、給料もかなりよく、
新しく部署を立ち上げるというか、もう新しい会社をつくるような内容だったので、多くを学びました。

マネージャーのポジションでの勤務で、マネジメントを中心に、ITの知識や、OAソフトのスキルなども高めました。

給料は本当に良かったんですが、絵に描いたような性根腐ったダメ上司に、
止まることのない激務で精神を病み、他にもいろいろ理由があって、
台湾で中国語を本格的に学ぶことを決意、退職。

「おカネが良ければある程度の仕事に耐えられる」
という人は一定数いますが、僕はそんな事なら、

最低限の生活でいいからやりたいことをして方が遥かにマシだな

という感じ。

もちろん、そんなところで終わるつもりはさらさらないので、
やりたいこともやるし、興味があること全部トライできるくらいのおカネは稼ぐつもりです。

そして台湾へ

まさか、英語のみならず、中国語を勉強する日がやって来ようとは、想像すらしていませんでしたね笑

台湾でも最初は結構きつい経験をしました。

なにぶん英語と違って、数の数え方すら知らない。
言葉が通じないと、得られる情報も限られる。
日本ともフィリピンともカナダとも違う習慣や風習・・・。

それでもカナダで学んだことを堅実に実行し、滞在4ヶ月で、ひとまず「安定した」と言ってもいいレベルまで生活は落ち着きました。
金銭的にある程度余裕が出てきて、友達もできて、困った時は助けてくれる人間が身近にいます。

ちなみに最初は何をしたかというと、最初の3ヶ月だけ大学へ通い、中国語を勉強。

ここで基礎的なことを学んで、とりあえず生活する上で困らない程度の中国語は話せるようになりました。

例えば、自分の名前、年齢、好きなもの、嫌いなもの、趣味、出身、トイレはどこですか?などなど・・・。

ということで、これだけ書いても色々すっ飛ばした部分が多くあるので、追って書き加えていこうかと思います。

こんな調子で、これからもどんどん新しいことに挑戦していこうと思っています!

また様々な体験談や役に立ったことなどもブログに書き綴っていきますので、今後ともルイブログをよろしくお願いします!

Thumbnail: 台湾新北市瑞芳區九份