人生の価値観を大きく変えた小説 – 五分後の世界 – (村上龍著)【雑記#04】

「一番好きな食べ物は何?」
「一番好きなバンドは誰?」
「一番好きな漫画はどれ?」

こういう質問をされると、僕は困る。

好きな食べ物は気分によって違う。
大のラーメン好きだけど、二日酔いの朝は梅茶漬けが食べたいし、お祝いの贅沢には寿司やお肉がいい。

バンドも漫画もその時ハマっているものによる。
これが一番というのは特にない。

でも
「好きな小説家は誰?」
この質問には即答できる。

村上龍だ。

1冊の本との出会い

10年前、19歳の頃。
僕はリンパ腺を切除するために入院した友人の見舞いのお土産を探して、ブックオフに居た。
お見舞いと言っても金がなくて大したものは買えないので、せめて時間を潰せる漫画や小説を買おうと思ったのだ。

そこで僕は人生の価値観を大きく変える一冊に出会うことになる。

それが”5分後の世界”だ。

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背表紙に書かれているあらすじを読んで僕はすぐに引き込まれた。

箱根でジョギングをしていたはずの小田桐はふと気がつくと、どこだか解らない場所を集団で行進していた。そこは5分のずれで現れた『もう一つの日本』だった。『もう一つの日本』は地下に建設され、人口はたった26万人に激減していたが、第二次世界大戦終結後も民族の誇りを失わず、駐留している連合国軍を相手にゲリラ戦を繰り広げていた……。

村上龍「5分後の世界」 背表紙に書かれているあらすじより引用

僕らが生きるこの世界は、広島、長崎に原子爆弾を投下され、沖縄侵攻を受け、本土決戦でいざ一億玉砕、というタイミングでポツダム宣言を受諾し、敗戦した日本だ。

しかしこの小説の舞台は違う。

広島、長崎のみならず、小倉、新潟、舞鶴へと立て続けに原子爆弾が投下され、本土決戦は本格化。
南は沖縄からアメリカ軍が、北は北海道がソビエトに侵攻され、日本中で戦闘・民間人の虐殺が発生し、人口は5000万人まで激減する。

さらに飢餓や疫病も相まって1946年には2300万人まで減少。
同年、天皇一家は危機を避けるためにスイスへ移住。この移住も情報が漏れていて、天皇が乗る飛行機が撃墜されそうになる事態も起こる。

1946年には「第二次世界大戦終結宣言」なる声明が出され、日本の指導者や軍部は戦犯判決を受け、大日本帝国は消滅した。
戦勝国であるアメリカ・イギリス・ソビエトと権利を主張した中国の4国によって、日本列島の分割統治が開始される。

歴史から消し去られた思われた日本国だが、ビルマ戦線から帰還した将校団が極秘裏に長野県に地下都市を建設し、研究所などの日本の知的財産が集中する施設もそこへ全て移されていた。

この時点での日本国の正式な人口は26万人。

補足すると、地下に逃げ込まず地上で連合国軍に尻尾を振ったりして野ざらしになっている日本人は”非国民”と呼称され、人数に加算されていない。

追い込まれた日本国を窮地から救い出したのも、皮肉にも”戦争における戦闘力”だった。
小さな列島において、4国に分割統治された国々での争いは、当然起こらないわけがない。

すぐに中国とアメリカの間で戦争が起きたが、中国のゲリラを相手にアメリカは苦戦した。

地形をよく知り、それまで連合国軍相手にゲリラ戦を繰り広げていた日本国は、アメリカから要請を受け、中国との戦闘へ参加することになる。

第二次大戦終了まで、限られた資源と古びた武器でゲリラ戦を展開していた日本は、最も必要としていた物資や武器をアメリカから支給された。

”鬼に金棒”だ。
日本帝国ゲリラ軍は、歴史に残るほど鮮やかに中国軍を殲滅。
後に”最高度のゲリラ戦”と、戦記として残されるほどのこの戦闘を経て、日本国はその戦闘力の高さを世界に示す。

この出来事を皮切りに、大国の圧力に喘ぐ弱小国からの要請があれば、兵士を派遣し、戦争や革命、独立への支援をする。まさに”戦争ビジネス”だ。
フィデル・カストロ率いるキューバ革命を成功に導いたり、アフガニスタンの戦線に参戦し、戦闘に大きく貢献した。

そうやって日本が圧倒的な戦闘力と、他のどんな国の追従をも許さないテクノロジーや技術を用い、戦争をビジネスとしている最中、主人公の小田桐は平和な日本から突如この戦果の真っ只中にある日本へと飛んでしまう。

戦闘に巻き込まれたりスパイとして疑われたりもしながらも、それまで様々な犯罪をすり抜けて生き延びてきた小田桐は、その嗅覚で生き延びることに成功する。

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この小説の一番の見所は、一見狂っているとしか思えない世界に飛ばされ、そこの世界観や歴史的背景というフィルターで僕らの住む世界を捉えると、

この現代社会すら十分に狂気に溢れているというところに気づかされる

というところだ。

忘れられない衝撃的なシーン

未だに忘れることができない、衝撃的なシーンがある。

突如巻き込まれた戦闘から帰還した小田桐は、普通の人間なら入ることすら許されない地下に築かれた日本へ招かれる。

小田桐が、今まで現れた外の世界から来た人間で唯一の生き残りだったからだ。つまり、同じように異世界間をワープした人間が他にも数人いたのだ。
小説内では全員が抵抗を示したり、パニックに陥ったことで処刑されたとしている。

地下に建設された戦闘国家の中枢に通された小田桐は、そこで日本国の代表であり司令官のヤマグチと、同席した女性のマツザワ少尉と会話する。

ヤマグチ達はあらゆる他の可能性である変数を、スーパーコンピューターに取り込み、枝分かれする歴史のシミュレーションをしていたのだ。
説明するマツザワ少尉は、要約すると、以下のように小田桐が来た世界(つまり僕らが今生きているこの世界線)のシミュレーション結果を説明する。

「無条件降伏を受け入れた場合の日本は、統治の方法こそ荒々しいものではないが、文化的な洗脳を受け、アメリカが良いと思うような概念を刷り込まれる。
例えばアメリカが良いと感じる映画を見せさせられ、それが正しいという常識を植え付けられる。
若者は髪を染め、内容もわからないのに英語の歌に合わせて踊り、ラジオを聞き、看板や広告には英語が溢れる。
政治面では常にアメリカの顔色を伺うことになり、国家としての尊厳や決定権を完全に失い、時にその決断力の欠如が結果的に大きな損失や国際的な摩擦を生み出すことになる。
これらの異常な状況を異常だと思わないほどの奴隷状態に陥り、誰も国や文化がどうあるべきで、何をするべきなのか、といったビジョンを持たないようになる」

話し終えたマツザワ少尉は、最後に、でもシミュレーションはシミュレーションに過ぎませんね、あなたは髪なんて染めていないもの、と言い、小田桐は、いや本当はあんたの言う通りなんだ、と言おうとするが、止める。無意味だからだ。

僕はこのシーンを読んで、頭を殴られたような衝撃を受けた。

自分がそれまで認識していた常識という概念は、ものすごく限定的で小さな範囲でしか作用しないし、問われるまで疑問を持たず思考停止して生きていたことを思い知った。

日本を世界の一国家として初めて認識した瞬間だった。
それまでは、ただ、自分自身も天秤の上に乗り、他の世界を眺めていただけだ。

ちなみに一応触れておくと、僕は右でも左でもない。
そして海外を転々としているから、たまに勘違いされるが、僕は日本が大好きだ。

ダメなところはたくさんある。山のように。それも年々悪くなっている。

それでも、他の国には持ち得ない水準の文化的背景や、美味しい食事、安全で清潔な街。
何より日本は僕の生まれた国だ。家族もバンドメンバーも日本にいる。

この小説のメッセージ

この小説の強烈なメッセージ性は、他の選択肢だった中でも特に熾烈を極める環境の渦中にいる日本と、現代の、恐らくほとんどの人が戦闘すらみたこともない日本を対比することで描かれている。

僕がこの小説を通して

“日本はどういう国で、世界からどういう認識をされていて、それに対してどうあるべきで、日本だから、日本人だからこそできること”

を考え始めるようになったように、誰かの何かのきっかけになれば嬉しい。

それでは。