音楽専門学校で出会った変態恩師から教わったもの【雑記#01】

高校を出て新しいステップへと進んだ僕たちは、日々新しい環境で新しい人と出会うことに慣れずにいた。
中でも講師のTさんは異様な雰囲気を発していた。

男性ながら腰まである長髪、伸ばしっぱなしの髭、眠そうな目つき、いつもゆるいラフな格好。

「音楽専門学校の講師」と聞かなければ、マリファナを愛するレゲエミュージシャンにしか見えない。

最初は、個性的な人だな、としか思わなかったけど、

結果的にこの人からは語り尽くせないほど、大事なことを教わることになる。

容赦ない下ネタと卓越した説明力

ではどういう部分が変態だったのかと言うと、容姿も強烈だが、説明する時の内容がすごい。

音楽機材にエフェクターというものがある。
これは元々の音を、違う音に変えたり、残響を伸ばしたり、やまびこのように繰り返させたり、設定した音量以上の音が出ないようにするなど、ものすごい量の種類があり、様々なシーンで用いられる。

一番身近なのはギタリストの足元にあるものだ。

多くのギタリストはこのエフェクターを足元に置いて、そのスイッチを踏むことで、弾いているギターの音色を変えることができる。

僕たちはその時、Tさんのミックスの授業を受けていた。

ミックスとは、いろいろな楽器の音量を調整し、音楽を聴きやすい状態にすることを指す。

普段聴いている音楽の音源というのは、ざっくり説明するとレコーディング→ミキシング→マスタリングという手順で完成するのだが、つまり録音して音量がバラバラの楽器たちを聴ける状態にするのがミックスという工程。

僕たちは入学時、もちろんこのエフェクターの存在は知っていたが
Tさんは全員のミックスをサッと聞くないなや

「お前らはエフェクターを根本的に理解できていないんだよ」

と言って、全員が「???」という状態になった。

「よくわからないままなんでもいいからとりあえずエフェクター使って、ひとつひとつの音をよくすれば良いミックスになると思ってるだろ?それじゃ意味ないんだよ。大島、エフェクトってどんな意味か分かるか?」

急に名前は呼ばれた僕は困惑したけど、答えた。

効果、ですよね?

「そう、効果をもたらすからエフェクトにerがついてエフェクター。だから使う以上は有効な効果が期待できないと意味ないわけだ。で、お前らの使い方は効果的じゃないから、意味ないのよ」

どういうことですか?

「目の前に美女がいるとするだろ、で、お前はなんとしてでも一回でいいから抱きたい。そういう時お前どうする?」

(おいおい俺まだ18歳だぞ・・・)

そうですね・・・何か喜んでくれそうなデートを考えます。

「ブスならそれでOKだな、でも目の前にいるのは美女だぞ、ちょっとしたデートなんか無意味。美人っつーのは手厚くもてなされるのに慣れてるから、普通のものじゃ効果ないんだよ。

じゃあどうするかっていうと、絶対喜んでくれるものを渡す。ダイヤモンドの指輪なんかどうだ、ベタだけど誰でも価値がわかるだろ?喜ばないやつはいない。


それ渡して、お願いだから一晩だけって土下座したら、もしかするかもしれない。これがエフェクターなんだよ」

なるほど・・・。

全然わからねーwwwwww

「お前らが今やってるのはブスを手厚くもてなしたり、せっかく美人なのに厚化粧塗りたくったりしてるのと同じってこと。良い化粧品塗っとけば綺麗になるってもんじゃないだろ?

料理も同じだよ、素材を活かすために切り方とか火の通し方とか味付け工夫するだろ?そうやって”有効な効果”を得るためにエフェクターつかうわけ」

段々わかってきた。

つまり本質がわからない状態でやみくもに使っても、素材をダメにしかねないってことだ。

ていうか最初から料理の話してくれたらよかったんだけどな・・・。

「だから、俺が『なんでこのパラメータ設定のエフェクター挿したの?』って聞いて、俺が納得できる理由でちゃんと説明できるようになること。これがエフェクター使う時の最初の課題な」

それで僕たちは初めて「エフェクターが何なのか」を正しく認識した。

効果を得るもの。逆に言えば、何も使わずに素の状態がベストな時だってある。

音楽性、曲の雰囲気や意図、録音した時の状況、マイクの位置。
すべてにおいて細部まで把握し、考え抜いて、初めて使うべきエフェクターがわかってくる。

すごすぎる功績

本人の性格上、自分から話したがらなかったのではと推測するが、人づてに聞くところによると、Tさんは音楽業界では結構著名な人らしかった。

ここで名前は出せないが、日本人ならほぼ誰でも知っているバンドのメンバーの自宅スタジオを設計したとか、アナログからデジタルへと移り変わる時代に、黎明期であるProTools(世界的に有名な音楽編集ソフト)を日本国内に普及させた第一人者とか、

そういう話がいくつもあった。

そしてそれを裏付けるようなワザがあった。

Tさんは、同じ曲にも関わらず、生徒全員のミックスを、どれが誰のものなのか正しく聞き分けた。
20人近くいた生徒全員分のミックスを、一度も間違えず、だ。

全員同じ学校で、同じソフトウェアを使い、同じ講師から手法を習うから、どうしても音は似通ったものになる。
少なくとも僕の耳にはどれもほとんど同じように聞こえた。

それを完璧に誰のものか当てる。

言うまでもなく尋常じゃない聴力だった。

一度、他の生徒が宿題のミックスをサボって他人のミックスに少し手を加えただけのものを提出したことがあったが、これも笑いながら正しく指摘した。

ここまで来ると僕らは彼に対し畏怖の念を抱くしかなかった。

弟子入りと挫折

Tさんは他の講師とは根本的に違っていた。

話は少し難しいけど、表面的なことしか学ぶことができない他の講師の授業とは何もかもが違うし、刺激的で、大きな学びがあった。

この人の講義をもっと受けてみたい、と強く思った。

僕は頭を下げて、Tさんに弟子入りすることにした。

Tさんが出勤している曜日の、全ての授業が終わったあと、Tさんの時間が許す限り、マンツーマンでミックスを教わった。

Tさんのレッスンは、超がつくほど厳しかった。

「じゃあ、明日から始めるけど、これ今日中にミックスしてきて」

と渡されたデータを、夜中まで取り組んだ。
ああでもないこうでもない、と色々繰り返して、またイチから始め、ようやく自分の納得のいくものができたころ、外は明るくなり始めていた。

仮眠だけ取って、学校に行った。
全ての授業を終え、Tさんの教室でレッスンを始める。

一夜漬けで作ってきたミックスは、その日、再生されることすらなかった。
データが壊れていたわけでも、機械の故障でもない。
Tさんはセッションデータを見て、一言。

「うーん、聞く価値もないな」

僕は耳を疑った。
音楽ミックスをして、聞いてすらもらえないというのは、どういうことなのか。
ショックで呆然とする僕に、Tさんはつづけた。

「このさー、トラックの並び方みれば、お前のミックスは聞かずしてウンコってわかるのよ。なんでだと思う?」

いや、でも、他の講師のYさんはこういう風に並べた方がいいって・・・

「んで、そのYさんがなんでこの方がいいって言ったか、考えたか?」

・・・考えませんでした。

「疑問も持たずに考えもなく良い音楽なんてできないのよ。良いものには理由があんの。

ミックスっていうのは音楽の原則に則って段取りを組まないといけない。お前音楽って2次元の平面的なものだと思ってるだろ?実は奥行きもあるから三次元的な構造になってるんだよ。

空間系のエフェクターでこの奥行きを作る。ファンデーションの音作りから作っていく上で地盤を決める必要があるからシンバルなんか一番最初に配置してる時点で論外なわけ。

お前は俺が思ってた以上に音楽に対する理解が低いっぽいから、まず音楽の構成から説明するけど・・・」

そこからの2時間、結局渾身のミックスを聞いてもらえることはなく、音楽の基礎の基礎の話を聞いた。
音楽の三原則、三次元的な音の配置、周波数帯の棲み分け方・・・

Tさんの話を聞いて、自分がいかに音楽を知らず、そして見当違いのことをしていたか、わかった。

はっきり言って、挫折した。自分の無力さを思い知った。

「お前このミックスで聞かせたいことはなんなの?」
「このラフミックスでボーカルに歌わせたら退屈して寝ると思うよ」
「俺もお前の音源聴いてたら抑揚なさすぎて眠くなってきたわ」

毎週毎週、悪気のないグサグサ突き刺さるダメ出しに耐えた。

ある時Tさんは言った。

「お前はさー、センスしかないんだよね、多分」

初めて褒められたと思った。

え、本当ですか?ありがとうございますwww

「あ、いやそういういことじゃなくて。センスはあるんだけど、センスだけってこと。

お前なんでも始めて、ある程度はすぐ身につけられるだろ?器用なんだよ。でも音楽を極めるなら根気よく集中しないと、八方美人じゃ伸び悩むだけだぞ」

その通りだった。

その言葉通り、なかなかMIXが上達しなくて、どこに向かっているのか分からなくなることがよくあった。
目隠しをして太海を泳いでいるような、そんな気分だった。

現状を打破する考え方

来る日も来る日もミックスに取り組むも、思うようにできない。
Tさんに相談すると、意外な答えが返ってきた。

「数日間、音楽聞くのやめてみ。頭を空っぽにすれば次に何するべきか見えてくるから。

完全にとまでは言わないけど、通学中とかも、街の音とか、そういうの聞いてみ。」

言われた通りにした。

なぜ上手くいかないのか、すぐにわかった。

内側に入り込みすぎて全体を俯瞰できなくなっていたのだ。

Tさんが言ったのは、”一回そこから出て、全体を見えるところまで遠のいてみろ”ということだったのだ。

それからというもの、進歩は早かった。

短期間で集中して作業して、その時のベストを作る。
ドツボにハマる時はしつこく追いかけず、敢えて手放す。
そうしないと、客観性を欠いてバランスが崩れる。
結果的に時間がかかって、効率が落ちる。

コツをつかんだ僕は、卒業制作である、学校外のビッグバンドのミックスで、

最高評価を獲得し、卒業した。

そして、現在までも、あまりコンスタントではないが、フリーでレコーディング・ミックス・マスタリングエンジニアとしても活動している。

最初期の機材の購入から、仕事の受注、納品まで、Tさんは力を貸してくれた。

これまで、たくさんのバンドの音源制作に関わることができた上、自身が所属するバンド(現在はtatara)のレコーディンクからマスタリングまでの全ての工程は、自身で手がけてきた。

音楽的な技術は音源制作のみならず普段のバンド練習でもかなり役に立つ。
アンサンブルがまとまらない演奏になぜなってしまうか、すぐに分かるからだ。

最終的に音楽だけで食っていく道を僕は選ばなかったが、Tさんに教わったことは、人生において、本当に大きい。

彼はいつも”ものづくりの本質”に焦点を当て、自身の強力な哲学を以って仕事と向き合っていた。

僕はまだまだ、Tさんの足元にすら及ばないが、何か壁にぶち当たったとき、教えを思い出して、一度手を止め、自分も含め全体像を第三者視点から俯瞰するようにしている。

あの頃はまさか、数年後に海外に飛び出して、異国で仕事したりすることになるなんて想像だにしなかった。

業種は違えど、生きていく上で持っておくべき信念の根っこにある部分は、実はどれも同じだったりするのではないか、と思うことがよくある。

音楽を作る時だけではなくて、何かを始める時や、集中して取り組む時。

大事な局面で持ち得る力を発揮するためのテクニックや精神衛生管理の有効な方法を教えてくれたTさんに、ただただ感謝している。

あの時より少しはまともになった今の姿を見てもらって、またあの辛辣なダメ出しをしてもらいたい。