世界から見える日本を考える【雑記#07】

10ヶ月ぶりに日本に帰国した。

あまり久しぶりだと感じないのは、僕が間滞在していた台湾と日本の文化の差がそんなに開いていないからだろう。

いや、実際は違うところも多々あるのだが、例えば人々の顔つきをはじめ、食事の味付けや街の雰囲気、ファッションなども、西洋のそれと比べると距離はかなり近い。

特に台湾は日本が統治していた関係もある。

帰国の度に

僕がフィリピンから7ヶ月の滞在を終えて帰国した2016年、日本の風景は大きく違って見えた。

これはフィリピンと日本の文化的差異が大きいから、というのと、それまで海外に長期滞在をしたことなんてなかったからという理由がある。

さらにその後、カナダに1年住んだ後に帰った時も、大きな変化に驚きの連続だった。

以前、以下の記事で「日本を出なければ日本がどんな国か知ることはできない」という旨の記事を書いた。

絶望の淵から救ってくれた海外の魅力

長期間の海外生活のあと、日本へ帰国すると、当たり前だったものが当たり前ではなくなる。

日本という国

まず、日本は特殊な国だ。

終戦後、極限の状態から、独裁的な軍事国家から世界でも有数の経済大国として成り上がった国は他にない。

では、どう特殊なのかというと、物事の考え方や捉え方が、他の多くの国と異なる。

その大きな要因として「他国からの統治を受けたことがない」という点が一番に挙げられるだろう。

先の大戦では、本土決戦で一億玉砕が叫ばれる途中で、降伏・敗戦し、GHQによる指導のもと、崩壊しかけた日本は再建された。

※実際には戦勝国での分割統治が計画されていた

他国からの侵略・植民地化や技術移民を経験していなということは、当然、混血も進まない。

混血が少なければ多様性の発達には限界がくるし、他文化に対する寛容性も大きくならない。

まさに、独自の生態系を持ち、他と違う進化を遂げる島”ガラパゴス島”にちなんで呼称される、ガラパゴス化だ。

こういった背景を加味して考えると”日本の特殊性”がより明確に浮かび上がる。
そしてその独特さには良い点も、当然悪い点もある。

僕にとっての日本

よく勘違いされるので先に大事なことを述べておきたいのだが、僕は日本が嫌いなわけではない。

大好きな家族や友人、バンドメンバーも日本にいる。
日本食は美味しくて、健康的で、安価だ。
諸外国に比べてかなり安全で、インフラも高い水準で整っている。
「東京の人は冷たい」とは」よく聞くが、それでも困っている人が入れば助ける、人情味あふれる人も多い。

では僕が海外で生活し続ける理由は何か。

ここでは細部までは述べないが、単純に”相性”の問題だ。

先述した通り僕は日本の文化や環境が好きだが、こと仕事においてはその限りではない。

また、海外にいて自分自身が”外国人”として生活する方が、僕自身と他の世界との輪郭が際立つような気がするのだ。

そうすると、結果的に自分のことや、自国である日本のことがよく見えてくる。

日本人にとっての日本

日本は世界的に特殊な国だ

この事実を知らない日本人は多い。

郷土料理やその土地ならではの芸術や特殊な文化、言語の性質から読み取れる民族の文化的背景・性格といったものがまったくない国というのは、実は意外と存在する。

特殊性は、ある時には武器になり、ある時には弱点となる。

これを僕たち日本人がどう認識し、解釈するかが、これからの状況を大きく変える際の鍵になると、僕は考えている。

教授している恩恵は、どこから

例えば日本人は真面目に働くことで世界的に有名だ。
しかし同時に、労働環境が過酷なことでも知られている。

日本のサービスは世界有数だ。
そしてこの利便性と、厳しい労働環境は表裏一体になっている。

海外になくて、日本に当たり前に存在するもの。

  • 綺麗でウォシュレットも付いているトイレ
  • ネットで注文した荷物は早ければ一日で届く
  • 不良品をつかまされる機会は驚くほど少ない
  • 壊れていたら、すぐに対応・交換してくれる
  • 美味しいご飯かそこかしこで食べられる
  • 黙っていても、水を注いでくれる
  • ほとんどの街は綺麗に保たれている
  • ものを失くせば、警察に届けてくれる人がいる
  • 24時間 / 365日利用できるサービスがたくさんある

こんなに気持ちの良いサービスがどこでも受けられる国は、他にない。

どれもこれも、毎日真面目に、思いやりを持って働き、生きている人たちの賜物だ。

そしてその恩恵の裏側には

仕事はこうでなくてはならない

という社会全体のプレッシャーに耐えているという現実がある。

僕には理想的な働き方のバランスや、具体的な解決方法はわからない。

「もっと力抜いてもいいんじゃないかな」と思う時もあれば「この勤勉さが日本たらしめている側面もある」と思う時もある。

ただひとつ言えるのは、ほとんどすべての人が

”幸せとは何か

というビジョンを持っていないことだ。

これからのビジョンとライフスタイル

本来こういう価値観は、著名な人間やその時代に理想とされる代表されるライフスタイルから啓蒙されることが多い。

しかし現代の日本社会において、僕が知る限り、そういった”ビジョン”を発信している人は、無に等しい。

ただ精力的に生きていくことを諦めただけの若い世代を「悟り世代」だとかいう大層な名前で呼ぶこともある。

僕には頑張ろうとしない若い世代を「本人の問題だ」と責めるつもりはないし、そういう環境を作り出してしまった社会そのものに原因があるのかどうか、判断できない。

僕はといえば、ビジョンしか持っていない。

富も名声も社会的地位も、まだ何もない。
でも、ビジョンだけは持っている。

それは

「社会や組織に縛られず、時間的なゆとりを持って、生きていく」

というものだ。

だからこそ僕は、世界で最も多く話されている言語、つまり英語と中国語に注力している。

言語に精通していれば、場所が制限されるリスクが低くなるからだ。それに、選択肢も増える。

もしもこの先、日本が窮地に直面したら。
その時に重大な決断を迫られたとしたら。
避けることのできない大きな危機を前にしたら。

日本が世界に向けて、かつて持ち得たビジョンを示し、毅然とした姿勢を示すことを願うばかりだ。

そしてより多くの人が、理想的な生き方を模索し、現実にして、後の世代に伝えていけますように。